約 1,753,770 件
https://w.atwiki.jp/owme/pages/12.html
この仕様書はマリオカートツアーのコントローラーシステムについて記述する 操作設定の仕様について詳しく記述する
https://w.atwiki.jp/sq_4/pages/69.html
TP回復 ( 関連スキル → TPブースト・TPカット・エナジータンゴ ) 分類 スキル 回復量 TP 使用 対象 備考 メイン サブ 戦闘 探索 パッシブ 城塞騎士の悟り 5 - - 自身 (3→4) 方陣師の悟り 10 - - 自身 (5→8) 武士の悟り 12 - - 自身 (8→10) TPリターン 12 8 - 自身 コンバーター 8 5 - 自身 フィニッシャー 8 5 - 自身 アクティブ 羅刹解除 50 30 1 自身 インパルスエッジ 35 28 2 自身 アイテム アムリタI~III 1006030 - item 味方単 ハマオI~II 5025 - item 味方単 HP200/100回復
https://w.atwiki.jp/sq_3/pages/36.html
HP回復 アイテムは主要な物を記載 ⇒ 回復アイテム 分類 スキル 回復率 TP 戦闘 探索 練気 対象 備考 固定値回復 イモータル 全快 Lim 味方全 蘇生+TP・抑制も回復 行者の利益 100 - 味方全 士気回復 100 - 味方全 王者の凱歌 60 - 味方全 ロイヤルベール 46 - 味方全 キングスマーチ 10 - 味方全 1歩毎に回復 フルヒーリング 全快 18 味方単 応急手当 150 8 味方単 コモンスキル 武息 全快 Lim 自身 アベンジャー 200 - 自身 エクステンド 100 - 自身 行者の功徳 90 - 自身 ガードヒール 60 - 自身 リインフォース 42 - バフ依存 TEC依存(*1) パーティヒール 100% 35 味方全 介護陣形 30% Lim 味方全 5ターン持続 庇護の号令 240% 14 味方列 3ターン持続 ラインヒール 110% 25 味方列 エクスチェンジ 350% 8 味方単 ヒーリング 120% 13 味方単 補給 200% 14 ボット アイテム マドラI/II 300150 item 味方列 メディカI~IV 全快30016080 item 味方単
https://w.atwiki.jp/sq_3/pages/38.html
TP回復 アイテムは主要な物を記載 ⇒ 回復アイテム 分類 スキル 回復量 TP 戦闘 探索 対象 備考 固定値回復 イモータル 全快 Lim 味方全 蘇生+HP・抑制も回復 軽業 20 - 自身 血返しの法 20 - 自身 王たる証 12 - 自身 王家の血統 10 - 自身 トリックスター 10 - 自身 省エネ 10 - 自身 自身の封じ数×10回復 リターンエーテル 5 - 自身 ブレイブハート 5 - 自身 ビースト帰還 * 1 自身 招来時のTPを回収 TEC依存(*1) リニューライフ 12% 12 味方列 弱体がなければ回復不可 アイテム アムリタI~III 全快10050 item 味方単
https://w.atwiki.jp/codmobils/pages/18.html
1.本仕様書はCoDMobileのNUKETOWNについてレベルデザインやワールドセッティングについて記載する 2.NUKETOWNに存在する建築物、遮蔽物、経路などを詳しく記載していく 3.プレイスタイルの合わせた立ち回りなどについても仮想しておく 4.NUKETOWNの建築物の配置は明確に理由をもって配置するものとする 5.初心者が飽きてしまうような要素は減らすが複雑にし過ぎないようにする 6.マップの世界観のコンセプトなどを記載する
https://w.atwiki.jp/sq_3/pages/40.html
封じ付与 招来スキルは獣王マスタリーLv10時の確率 分類 スキル 付与率 TP 攻撃属性 武器 対象 備考 斬 突 壊 炎 氷 雷 無 頭封じ 大鳥招来 65% 27 - 敵単 ハンギング 60% 17 突剣 敵単 不思議な種 20% 8 - 敵全 (発芽率60%) 腕封じ 大蛇招来 65% 27 - 敵単 アームブレイカー 60% 10 鎚 敵単 不思議な種 20% 8 - 敵全 脚封じ 土竜招来 65% 27 - 敵単 影縫 60% 12 短剣 敵単 不思議な種 20% 8 - 敵全 スロット 頭/腕/脚 +6/3% slot - 敵単 1個目/2個目以降
https://w.atwiki.jp/sq_3/pages/46.html
特殊攻撃 追撃・反撃・指示スキルは、いずれもトリックスターの対象にならない 分類 スキル 与ダメ 回数上限 TP 攻撃属性 武器 備考 斬 突 壊 炎 氷 雷 無 追撃スキル 一騎当千 165% - 24 全属性に追撃 属性チェイス 170% 8 13 銃 物理チェイス 170% 7 13 突剣 三色ボット 170% 7 20 (TEC依存) スナイプI/II 220% - 7 抑制状態の敵に追撃 反撃スキル カウンターI/II 380% - 9 素手 剣虎招来 200% - 36 (STR依存) 野伏せの陣立 132% - 18 味方一列が反撃準備 電磁バリア 70% - - (TEC依存) 忍法 撒菱 90 敵数 8 味方一列が対象 固定ダメージ HP砲 1686 - 14 指示スキル 乱れ竜の陣 140% 5 26 一斉射撃 140% 6 35 銃・弩 一斉攻撃 165% 6 15 ボットの攻撃は追撃と同じ
https://w.atwiki.jp/divine_revelation/pages/65.html
目次 1.人生の目的を知るには、まずあの世を知れ 2.魂は、握一点、開無限の存在である 3.魂は肉体意識と共に成長していく 4.最後の審判の本当の意味 5・地獄は特訓所である ― 餓鬼地獄の実態 6.多くの現代人が堕ちやすい血の池地獄の実態 7.地獄の特訓所は自分の欠点を悟る早道 8.人生を永遠の転生輪廻の中で捉えなさい 9.人間はすべて天国から生まれ変わってくる 10.三次元世界創造の二つの目的 11.高級霊にとっての三次元の意味 12.人間の使命はできるだけ多くの人を幸福にすることにある 13.人間の偉さは、どれだけ多くの人を幸せにしたかによる 14.人生の目的、使命についの要約 11.高級霊にとっての三次元の意味 ただ、あなたも疑問があると思うけれど、じゃ下の次元の人が、上の次元の人に教育されるということはあるでしょうが、逆に、上の次元の人、つまり、菩薩界、如来界の方が地上に出たって何か勉強することがあるんですかと、ないんじゃないですかと、こう思うでしょう。ところがそうじゃないんです。 あなた、例えばダイヤモンドというのは、ダイヤモンドを、指輪なりネックレスに加工するためには、ダイヤモンドの面を綺麗にしなければいけないです。じゃダイヤモンドは何で磨くのか。ダイヤモンドは、切り取る時はダイヤモンドより硬い物で勿論、切り取るけれども、磨く時は、そうじゃないんですよ、柔らかい物でやるんです。これは刃でも一緒ですよ。刃磨く時、砥石、砥石で磨きますよね。砥石は鉄より硬いかというと硬くないですよ、鉄より硬くないんですよ、硬くないもんで磨いて刃が光るんです。 ですから高次元の方も、自分より上の人だけが指導できるんじゃないんです。自分より下を見て悟ることだってあるんです。当然です、そういうことなんです。例えば、自分が悟っているということが、悟ってない人を見ることによって、どれ程幸福か、これも勉強になるんです。それで、また、私は私で高橋信次として、近年肉体を持ちましたが、肉体を持って生まれてみると、いろんな人と会いました。悟ってない人と色々会うことによって、この世の中の不思議を知り、いろんな人が、どんなことを経験するか、随分勉強させてもらいました。いろんな使命を持って人間が、生きているのです。だから様々な人を見ることによって、世界を見る目ができるのです。 或いは、更に一歩進めて言えば、神様の御心が、どの辺にあるかということを見極めることができるのです。 つまり高級霊にとっても、この三次元に生まれるということは、神様の創造した世界の全てを一瞥(いちべつ)できるのです。そういうチャソスなのです。普通は、関心ないような人たちと会えるんですからね。 そういうことで、人生の目的で、特に三次元における肉体人間の目的としては、今言った二つなのです。不自由さを感じて霊的な幸せを得るということ、また、様々な人が交わるということです。これが人生の目的です。 そういうことを経験して、更に高度な自分、悟った自分、勉強した自分を創るということです。これが目的です。 12.人間の使命はできるだけ多くの人を幸福にすることにある あと、使命というのがあります。使命について、もう少し話したいと思います。 今、私は個人、一人の人間ということを中心に話しましたが、使命というのは、これは他人との関わりということなのです。これが使命なんです。人間は自分だけのために生きているわけじゃないんです。自分だけのために生きていくなら、南海の孤島か何かに生まれて来ればいいんです。ポツンと、生まれて来て、豚でもいい、猫でもいい、ペンギンでもいいけど、それと暮らしていればいいんですよ。ペンギン抱いて寝てたらあなた、地獄へも堕ちないし、争いも起きないですよ。そうですよ、その通りなんです。 ところが、残念ながら可愛いい女性が一杯居て、心が散々(ちりぢり)に乱れるから、執着のとりこになって地獄へ行ったりするんです。だから女性なんか居ない島へ行って、男一人だけで住んでいれば、あんまり地獄に堕ちることなんかないです。ところが、いろんな人が居る所へ住んでいろから、間違いもしでかして、地獄へ堕ちてしまうんです。 だから、使命ということに関して言えば、やはり、他の人と一緒に生活する、共同生活する、ということが一番大事なんです。では何故、共同生活するのか、結局人間は、他の人に対して自分は何ができるか、ということを勉強させられているんです。それが分らないんです。大抵の人がテストでいくと、いい点を取りたい、いい会社へ入りたい、人より多い給料を貰いたい。人より綺麗な母ちゃんを貰いたい。こういう自分が、自分がと言っている。ところが自分が、自分がとして生きていると、だんだん人生が苦しくなってくる。人と比べて悪い自分ばかり見て、欲望を募(つの)らせると病気になったりして、だんだん悪くなる。ところが、もっと素晴しいことが、この世にはあるんだということに気づくのです。ある時は、そういった自我我欲のままに生きていて、人の親切に触れて、はっと悟ることがあるんです。 会社の経営者として、社長として、ワンマン社長で偉そうにやっていた。そしたら、「あいつ気に喰わない」と言っては首を切り、「あいつはお世辞を言わなかった」と言えば左遷し、そういう勝手気気儘(かってきまま)に生きていたような社長さんが、或る時ポッと病気をしてしまう。その時に、自分が左遷した部下が、「社長大丈夫ですか」と見舞いに来たりする。「あっこの男、本当に優しい男だな、自分からあれだけの目に合わせられながら、自分の体を気づかってくれて、ああ、こういう尊い心があるんだな」経営者は、その時悟るわけです。そして自分が、じゃ今、病気で倒れているけれど、もし健康体にもう一度なれたら、できるだけ全社員のために尽してみたい。多くの人たちを生かしてみたい。そういう菩薩心というのが目覚めて来るわけです。これが大事なんです。 13.人間の偉さは、どれだけ多くの人を幸せにしたかによる 人間の偉さというのは、どれだけ多くの人々を救ったか、救ったという言葉が傲慢(ごうまん)に聞こえるならば、どれだけ多くの人たちを幸せにしたか、ということです。 あなたにしてもそうです。あなたが、どれだけ立派な人生を生きたかということは、勿論、その証拠は、色々あるでしょうけれども、どれだけ多くの人々に尽くしたか、どれだけ多くの人々のためになるような生き方をして来たか、どれだけ多くの人を幸せにしたか、この基準なんです。 よく、あの世の世界で、宗教家が一番偉いと言われています。ところが、この世の世界では、宗教家が一番偉いわけではなくて、もっと社会的に地位の高い人が一杯居る。総理大臣だ、裁判官だ、医者だ、弁護士だと、会社の社長や偉い人が一杯居ます。宗教家は、必ずしもトップじゃない。ところが、あの世へ帰れば、本当の意味での、真実の宗教家は、一番トップですね、神様に近い所に居ます。何故そうか。それは、多くの人たちの心の糧になり、多くの人たちを幸せにしてきたからです。 企業の経営者として、企業の人々を養うことができます。ところが、それは高々、数千人、数万であります。大企業といえ数万人です。 一方宗教家というのは、キリストにしてもそう、釈迦にしてもそう、その時代の人たちだけでなくて、以後二千年、三千年にわたる人類を救ってきたわけです。それらの人たちに光明を投げかけてきたわけです。ですから、不幸せな人々を幸せにするという範囲が、途轍(とてつ)もなく大きいんです。 ところが会社の経営者、二千年後の人に影響を何か与えますか、与えません。お医者さんどうですか、病人は治ります。しかし病人もやがて死んで行きます。その後どうなるんですか。裁判官は、人を裁いています。結構ですよ。でも裁かなくてもあの世に行けば裁かれちゃうんです。裁こうが、裁くまいが、関係ないんです。 総理大臣は、選挙で落ちたら、ただの人、選挙に通れば、もう一回再選されたりして、そして、日本で一番偉いように考えられます。あの世へ帰ったらどうかわかりませんよ。戦後の首相で、天国へ行っている人は少ないですよ。地獄ヘ一杯行っています。何ででしょうね。本当に自分が日本国民のために尽くしたのか、或いは、自分としての栄達を求めたのか、そこがチエックされているんです。 やはり偉くなりたい人が多いんです。人の上に立ってみたい、人に命令してみたい、そういう人が多いんです。そういう人は地獄へ行ってしまうんです。だから総理大臣という地位は、日本一偉いんじゃないんです。最も地獄へ堕ちやすい地位でもあるんです。多くの人たちを、間違って指導することもありますから。だからむしろ田舎で、一人で生きている方が、むしろ迷惑がなくていいかもわからない。多くの人を使えば、使う程、心に歪みを作ればそれだけ悪い影響を与えちゃう。自分だけでなく他人まで。だから責任ある立場にある人は、それだけ難しいということを、悟らなければいけないんです。 また、その人の力によって、いろんな人を苦しめた場合は、その人たちの恨みが解けるまで、なかなか地獄から出てこれないんです。それだけ難しいんです。 14.人生の目的、使命についの要約 ですから私は以上、色々語ってきましたけど、総括すると以下のようになります。 人生というものの捉え方を、永遠の転生輪廻の中で捉えなさい。いいですか、永遠の転生輪廻の中で、自分の今世の役割、今世に命を得た意味、こうしたものを探究しなさい。これが最初です。 そして人生の目的とは何か、肉を持った人間の人生の目的とは、何か、それは霊的に目覚めるための下準備、これが一つです。不自由な物質世界で経験することによって、霊的に目覚める準備が一つです。もう一つは、いろんな次元の意識を持った人たちと会うことによって悟りを更に磨いて行く、こういうことが一つです。 そして使命とは何か、これは他人を幸福にする。できるだけ多くの人を幸福にすることです。 ところが、これは、「情けは人のためならず」という言葉がありますが、これはあなた誤解しているかどうか知らないけど「情けは人のためならず」というのは、情けを掛けたらその人が良くなるわけじゃないから、情けを掛けるなという意味じゃないんです。「情けは人のためならず」というのは、情けを掛けた、その情けは、やがて自分に返ってくる。だから人のためでなく、自分のためなんですよ、というのが「情けは人のためならず」という言葉の本当の意味です。 ところが今、多くの人々を幸せにするという話を私がしましたが、多くの人々を幸せにするとどうなるか、それは人のためならず、なのです。自分自身なのです。結局は、多くの人々のために生きられた人というのは、それだけ大きな人生を生きた、ということなのです。それだけ自己が大きくなった、ということなんです。器が大きくなった。それに目に見えない光の量、光子体というのを人間持っていますけれど、その光子体の量が、それだけ増えるのです。多くの人のために生きた人生というのは、多くの光子体を持ってあの世へ行けば、高い意識の人たちと一緒になれるんです。だから救世主のような仕事をすれば、あの世で、イエス様や仏陀と会えるようになるわけです。だから人のためではないんです。結局、自分のためなんですよ。だから人のためを思う人が自分のためになり、自分のためを思う人が、自分のためにならない。こんな矛盾があるんです。パラドックスがあるんです。結局そういうことなんです。だから使命というのは、他人に尽くすことによって、自己の向上を目指すということなんです。これが使命です。 まあ大体今日はそういう話です。
https://w.atwiki.jp/niconicokaraokedb/pages/1815.html
シンクロ しんくろ【登録タグ クリエイター 作し】 曲一覧 足りない女の子 コメント 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/tetsunohikari/pages/18.html
臨死体験がもたらす意識の変容 臨死体験と超能力、サイキック現象臨死体験後のヒーリング能力 臨死体験とUFO遭遇 臨死体験がもたらす意識の変容 臨死体験は、肉体的、精神的に死に近づいた人の人生観を根底から変えてしまう現実性をもっているという事がしばしば指摘される。また、フィリス・アトウォーターは重要なのは臨死体験そのものより、後遺作用と体験者当人がそれにどう対処するかだと確信するに至ったという(*1)。そして、本格的な臨死体験者が自覚する変化の中でも最も顕著なものは死に対する意識の変化である。 ケネス・リングのデータによると、臨死体験の多くの事例に共通するコア体験と呼ばれる本格的な臨死体験をした人のうち、何らかの形で死への恐怖が減少したという体験者は80パーセントで、この数字は瀕死状態に陥ったが本格的な臨死体験をしていない人々の29パーセントという数字と比べて高い事が分かる。また、マイクル・セイボム『「あの世」からの帰還』の中で示した数字は82パーセントでケネス・リングの数字とほとんど一致している。 臨死体験が死へのどのような恐怖を減じているのかという点について、岩崎美香は、死そのものに対する恐怖は、肉体が死滅する生理的恐怖と自分という存在の意識が消滅してしまう事に対する哲学的恐怖、そしてフランスの哲学者であったウラジミール・ジャンケレヴィッチが一人称の死を経験不可能と位置付けているような「予測不可能で未知である恐怖」があると指摘している。しかし、臨死体験者はその至福の喜びに満ちた体験から死が苦痛ではないことを感じ、また死の先に続きがある事を確信するに至り、肉体的苦痛や死による消滅への恐怖が存在しなくなっていると言える。これらのことから臨死体験による生と死を俯瞰する視点の獲得によって、肉体的消滅の恐怖、死という消滅への恐怖、死が未知である恐怖などをそれぞれ緩和しているという事が指摘されている。(*2) マイクル・セイボムの研究によれば、77パーセントの臨死体験者が体験後に死後の世界への確信が増加した事が示されており、ケネス・リング『Heading Toward Omega』(オメガに向かって)の中では合計で92.3パーセントの体験者が何らかの形で死後の世界への確信を強めている事が指摘されている。一方で、臨死体験者は、この人生における使命や目的といったことを確信する場合も多く、たとえ死に対する恐怖が緩和されても自殺によって自ら命を経つことはなく、自分に対してかたく自殺を禁じる人が多い。 人生に対する態度が劇的に変化したり、生きる目的を自覚するに至ったり、周囲の人々への愛や思いやり寛容さが増大したりしたという臨死体験者もいた事が指摘されている。多くの臨死体験者の他者への気遣いは人間に限られず、あらゆる生命に及んでおり、この事は「自己」という殻を破って宇宙全体へと開かれていく自己超越体験や宇宙の全一性の感覚とつながっていると思われる。また、価値観という点においても、社会的成功や物質的なもの(生活の物質的側面)を追い求めるということが重要ではなくなり、精神性の重要性が増したり知識への欲求が高まったりするようである。完全な物質主義者で無神論者であり世俗的な成功を重視ていた画家のハワード・ストームも臨死体験で他人に対して尊敬心と愛情と共感をもった関係を作ることが大切だと教えられた後、世俗的な快楽や富、成功などには目もくれず、専ら善なるものを追求し、あらゆる意味で人を助け、社会に奉仕する事に人生を捧げるという聖者のような人間になってしまったという。また、資本主義を美徳のように信じ自己中心主義的だったインドの医師のラジブ・パルティも臨死体験(死後の世界だけでなく過去生も再体験したという)を経て、富や物質的な豊かさへの関心がなくなり人との和や精神的な豊かさを尊ぶようになったという(*3)。なお、ここでいう精神性とは普遍的な精神性のことであり、宗教の組織的側面、礼拝などの形式的側面の重要性は薄れると言える。 そのような意味で自身は宗教的というよりは、スピリチュアル的だとみなす臨死体験者が多いことも指摘されているが、ケネス・リングは輪廻転生という考えに偏見をもたなくなるということや東洋の宗教に対して全般的にシンパシーを感じるという事を指摘している。他にもリングは、臨死体験の事後効果として有名になりたいという気持ち、他人が自分のことをどう考えているかを気にする気持ちの減少や、個人的な意味の探究、自分というものを理解したいという欲求の増加といった事などを挙げている。笠原敏雄は、人類のほとんどが属する生活派とは全く異質な生活姿勢や世界観をもつ芸術派の人々の特徴のうち、「ものごとの本質を直観的に見ぬけること」「他者と迎合することなく、自分で考え、自発的に行動すること」「生活よりも、自分が本当にしたいことを優先すること」は、臨死体験をした人たちが自然に身につけるとされる特性と殆ど同じであると述べている。(*4) 知識への欲求という点に関して顕著な例として、橘隆志は、トム・ソーヤーという人物の臨死体験が紹介している。除雪車運転手のトム・ソーヤーは、臨死体験をした後、訳の分からない数字や方程式などが頭に浮かんでくるようになり、入ったこともなかった図書館に行き、量子論の本を読み、更に大学にも入学し物理学、哲学、心理学も学ぶようになったという(*5)。臨死体験後にそれまでになかった才能が開花したという例はままあると言え、1994年に落雷で臨死体験をしたニューヨークの医師トニー・チコリアは、子どもの頃に楽器を習った経験がなく楽譜の読み方さえ知らなかったが、臨死体験後にクラシック音楽を無性に聞きたくなったり頭の中でメロディが勝手に流れたりして地道な努力を続けた結果、天才作曲家になってしまったという。(*6)。 石井登『臨死体験研究読本 脳内幻覚説を徹底検証』の中では、「臨死体験は脳が作り出す幻覚だ」という主張に対し、幻覚という「偽物」を元にして、「本物」の人間的成長、人生にもたらす前向きな態度を説明する事が困難であるとし、臨死体験が脳の見る幻覚であるという説には説明し切れない事実が残ってしまうと触れられている。また、臨死体験という非日常的な体験を日常の中で消化、適合して、新たな生き方を形成していくという点については、岩崎美香「臨死体験後に辿る過程 臨死体験者と日常への復帰」の中で詳しく述べられている。 臨死体験と超能力、サイキック現象 臨死体験によってもたらされる意識の変容の他に超能力を有するようになった、サイキック現象などを多く経験するようになったという研究結果もある。具体的には親類がいつ亡くなるかが分かると言ったことや虫の知らせ、予知、逆行予知(過去にあったとは知らなかった事が突然わかる)、テレパシー、ヒーリング、デジャ・ヴュ(既視感)、シンクロニシティ、体外離脱体験、霊的存在やエネルギーが感じられるといったことから、UFOを目撃したりコンタクトしたりできるようになったという報告などが挙げられる。フィンランドの医師、ラウニ・リーナ・ルーカネン・キルデは、1969年に急性腹膜炎で緊急病院に担ぎ込まれ緊急手術を受けたときに臨死体験をしているが、臨死体験から始まり、体外離脱体験や自動書記、チャネリングといった超常現象を体験しており、人と話していてその人が次に言おうとしている事が分かってしまうという点でテレパシー能力も発達したという。(*7) サイキック現象は、現在の自然科学では合理的に説明することのできない現象であるため、真偽について意見が分かれるところもあり、臨死体験が脳の情報処理機構に異常をもたらしたために、自分に超能力があると思い込んでしまうのではないかという解釈も生まれる。しかし、本人の主観の中だけでなく客観的なサイキック現象の報告もあり、臨死体験の事後効果としてサイキック現象が研究されている。 リチャード・コールは臨死体験者78名、死の瀬戸際まで行ったが臨死体験をしなかった人105名、死の瀬戸際までいったことのないその他の人358名のデータを分析し、臨死体験者は、臨死体験をしていない人と比べ、サイキック現象を多く経験している事を明らかにしている。また、ジェフリー・ロングの調査によれば、45.0パーセントが臨死体験前にはもっていなかった超能力や超常的な力など特別な能力を獲得している事が分かったという。(*8) そもそも臨死体験中にそれまで知らなかった親戚や光の存在と出会い、テレパシーで話したという報告があることから、臨死体験自体が一種のサイキック現象であるとも言えるが、臨死体験以前はサイキック現象があり得ると思っていなかった人が臨死体験後に透視やテレパシー、予知を始めとするサイキック現象を経験したという報告もある。 テレパシーについては、配偶者や子どものような身近な人とのテレパシー交信から、初めて会う人の心を読み取るというものまで、様々だが、このような能力は社会の中では受け入れられないものだと思い知らされ、この力を押し殺すよう努力している人もいる。予知については、地震などの自然災害と関係した予知体験がある。また、長いこと会っていない人のことを考えていると実際に電話が来たり手紙が来たりといった虫の知らせのようなものから、夢で見たことや脳裏をかすめた出来事が細かい点も全て一致したという報告もある。夢については、臨死体験以前より強く意識しているという人もおり、夢の中で、指示を受けたり、警告を受けたりする人もいる。他にも、不思議な現象を経験している臨死体験者はおり、例えば、バスの事故に巻き込まれた際に超自然的な力に助けられたという人、体外離脱体験をしたという人、霊と接したことがあるという人、何らかの治癒能力が備わったという人、オーラが見られるようになったという人もいる。オーラについて橘隆志は、人体が周辺の空間に電磁波を発しているのは物理的事実であり感覚細胞の能力という点から、可視光線の外の周波数帯域を見られる人がいても不思議ではないとしている(*9)。そして、シェリー・サザランドは、このようなサイキック現象の増加を臨死体験の結果起きた最大の変化だとする人は1人もいなかった事を述べ、臨死体験者の根源的な関心事は、精神的な成長であるということにも言及している。 臨死体験者が宇宙エネルギーに目覚める事につながっているという考えもあり、石井登『臨死体験研究読本』の中では、宇宙エネルギーの増大と超能力の間には無視することのできない関係があることが指摘されている。臨死体験後に「悟り」と言って良いような根源的な意識変化がある事は、超能力に目覚めるということと無視できない関連があるのではないかと思われると述べられている。また、瞑想や様々な行を基盤とした東洋の精神的な伝統の中では、修行によって得られる精神的な成長や高次の意識状態には何らかの超常的な現象が伴う事が認められている。しかし、それは高次の意識状態に至る上での副産物に過ぎないのであり、それ自体に価値はないとも言われており、この事はサザランドが臨死体験者の根源的な関心が精神的な成長にあると述べている事と一致していると言える。 臨死体験後のヒーリング能力 臨死体験を経て生還した人の中には、しばしば奇跡としか思えないとも言われる特異な生還例も多いと言われ、末期癌の患者でも事故で致死の重傷を負って臨死体験をした人も驚異的な速さで回復しているというケースが報告され、アニータ・ムアジャーニは、癌の死の淵から奇跡的に回復している。このような事例からは臨死体験が肉体にも大きな変化をもたらすという点で、臨死体験による心理的変化と生理的変化の深い繋がりが窺える。 また、臨死体験の後に人や動物に手をかざすだけで病やけがを治せると言ったヒーリング能力を発揮する人もいる。このような能力を授かった臨死体験者として、分子遺伝子学者からヒーラーに転職したジョイス・ホークスがおり、ホークスは臨死体験を経て心身の何かが変わった事で自分の身体を媒介として神聖な癒しを患者に届け、細胞レベルで癒すことができるようになったと考えている(*10)。 聖心会のシスターである鈴木秀子も臨死体験後にヒーリング能力を授かっている。鈴木秀子は今から30年近く前、友人のいる修道院に宿泊していた際、あまり寝付かれず夜中に起き出し、暗がりの廊下を歩いていると足を踏み外して階段から転落して、一気に下まで落ち、床に叩きつけられるという大事故に遭った。そして、そのまま気を失い、臨死体験をしている。気が付くと、身体が宙に浮かんでいたようで、宙に浮かんでいるところをもう一人の自分が見ていたという。宙に浮かんだ彼女の足の周りには筍の皮のようなものが覆っていたと言い、仏像の足の周りを包んでいる蓮の花びらに通じていると思ったようである。そして、花びらが落ちていくごとに苦しみから解放され、自由になっていくと分かったという。そして、最後の花びらは落ちる事なく飛翔し、鈴木は眩い光の世界にいたようである。そして、鈴木は光の生命に「現世に帰りなさい」と伝えられたのが分かり、知ることと愛することの2つだけが大切であるというメッセージを受け取り、意識が戻ったようである。 また、鈴木は臨死体験の5〜6年ほど前から患っていた原因不明の難病である膠原病が完全に治り病気1つせず今日に至っているといった事から、光の世界との出会いを核とする臨死体験が夢や幻覚ではないという確信を強めている。また、鈴木氏は膠原病を癒す力だけでなく、他の人々の病気を癒し力まで身についてしまったと言い、摂理としか思えない方法で、重症の病人のところに招かれるようになったとも述べている(*11)。そして、病人の所に行くと自然に手が伸びて、その人に触れて一体感のうちに呼吸を合わせている時、宇宙の根源にある力が病人に伝わり治癒力を蘇らせるように感じたという。例えば、ある少女からは肝臓と耳が悪く背骨が曲がっているのが伝わってきたと言い、少女は、最初は「どこも悪くない」と否定したが、翌日、鈴木が言った通りだと打ち明けたと言い、鈴木が癒しの力を込めて少女の背骨に当てたら曲がっていたはずの背骨が真っ直ぐに伸びていたという。 臨死体験とUFO遭遇 UFO遭遇は今日でも大半の学者や科学者にとって常軌を逸したものであると言え、レイモンド・ムーディも国際臨死研究学会(IANDS)の記念講演で、超常現象一般に懐疑的だと述べていたという。しかし、臨死体験とUFO遭遇には共通性があるということを指摘した研究もある。 ケネス・リングは、臨死体験とUFO遭遇では基本的な形は異なっているが、体験の当事者の感情を強烈に揺さぶり、同じような種類の霊的変容をもたらすという事が指摘されている。具体的には、自己洞察や価値観、人生の変化、さらには生態系への関心といった事などが挙げられる。そして、ケネス・リングは『Heading Toward Omega』(オメガに向かって)の中で、臨死体験は生命の内的一体性とその神聖さへの気づきを深め、地球の未来と生態系への関心を高めていく体験なのではないかと考え、臨死体験は人類に霊的な気づきという点で進化をもたらす体験であるという仮説を出している。(*12) UFO遭遇については、その特徴は、空に異様な光を見たというものから、UFOに誘拐されたり異星人らしき存在と接触したりといった途方のないものまで様々であると言える。UFOの目撃やUFOとの接触は「接近遭遇」と言われ、UFOに誘拐されたり、インプラントを埋め込まれたりする事は「第四種接近遭遇」と言われる。そのようなUFO遭遇には大抵の場合、不気味な感じや見張られているような感じ、異常な事が起こりそうな予感を伴うと言われているが、臨死体験は幸福感や安らかな境地を体験するものであり、性質が対照的であると思える。 しかし、ケネス・リングが収集した事例の中には、臨死体験とUFO遭遇を混合したような体験もあった(*13)。ベリル・ヘンドリックスというニューヨーク州の女性は、1977年に倒れ、気がつくと非日常の現実に入り込んでおり、丸い窓から宇宙を眺めていたり、意識が地球に落下していき幾何学図形になった地球が見えたりしたという。そして、その後、神を身近に感じるようになったと言われている。リングによれば、他にも臨死体験なのかUFO遭遇なのか区別できない事例が複数あったという。 臨死体験とUFO遭遇の両方を別々に体験している人もいる。前出のフィンランドの医師、キルデも臨死体験後にUFO遭遇体験をしている。キルデは、UFOに乗った事があると言うチェコ系アメリカ人の医師、アンドレ・アプラハリに会った際、再びUFOに乗る機会があったら私を拾ってと言い挑発したという。それから2箇月ほど経った夕方、家で女優をしている友人と日本の短歌に関する本を読んでいたところ、窓の外を見たら、窓から100メートルほど離れたところでUFO(大きな光の塊であったという)が着陸しようとホバリングしているところだったという(*14)。さらに、それから2年経ってスイスで行われた国際サイ会議(超常現象に関する国際会議)で、催眠術をかけられ催眠状態に入った際に、UFOがやってくるのが見え、UFOの中に入り、身長1メートルくらいのエイリアンによる医学検査を受けていたと言い地球上では見たことがない器具などを見たという。そして、それが催眠中に見た幻覚ではなく、本当に起きたことの記憶が潜在意識に残っていて催眠中に蘇ったのではないかと思うようになったと述べている(*15)。実際、キルデの下腹部には腹膜炎の手術跡ではない、いつできたか分からない手術の痕のような傷痕もあるという。フィリス・アトウォーターもインタビューした臨死体験者の3分の1強は、体験後UFOを見るようになったと言い、20パーセントの人たちが、別の世界から地球に移住した記憶に目覚めたとも述べている(*16)。なお、近年の日本では岩崎美香も臨死体験後にUFOを目撃するようになった人が何人かいた事を明らかにしている(*17)。 また、奇跡のりんご農家として知られる木村秋則も龍を見たり、UFOと遭遇したり、臨死体験をしたり、非日常的世界との遭遇が多い人物のようである。他にも最近では、YouTubeで自身の臨死体験について情報発信されている人が増えてきており、その中にはHanaco Channel ~Spirit Guide Radio~のように宇宙人との遭遇やパラレルワールドをはじめとする別次元の現実を経験されている人もいる事が窺える。このように別次元の現実との遭遇や神秘体験が多い人の存在から、シャーマンのような特殊な資質や心理傾向を持った人は、そのような現実にアクセスしやすいと言えるかもしれない。そして、そのような資質はケネス・リングの言う霊的な気づきという点での進化に関連していると考えられる。なお、ブルース・グレイソンは臨死体験やUFO遭遇により生理機能、神経系、脳などに変化をきたした人々を「オメガ・プロトタイプ」と呼んでいる(*18)。生理機能、神経系、脳などの変化という点に関しては、フィリス・アトウォーターも精神的な変容、宗教的回心、臨死などの奇妙な後遺症状というより脳の変容(ブレイン・シフト)の過程から生じる大脳辺縁系の活性化等による生理学的な効果として捉えているようである。 そして、臨死体験後にUFO遭遇体験をしたキルデは、人類が全一的な宇宙意識を獲得する進化の新しい段階に入ったと述べており、全宇宙一体の高次の意識世界の住人である宇宙人が人間をその世界に向かい入れるために手助けに来ていると述べている(*19)。なお、オメガとはフランスの古生物学者、テイヤール・ド・シャルダンの用語で人類の未来進化の終局の収束点を表している。このような人類の進化に対する考えはケン・ウィルバーが人間の心の発展が実存的なケンタウロスのステージを超えていく事を提唱している事にも少なからず通じてくる。 ケネス・リングはUFO遭遇や臨死体験について、それが幻覚などの産物か現実かという2つの解釈について、その中間、あるいはそれらの外側にあるような第3の領域での解釈を考えており、カール・グスタフ・ユングはUFO遭遇を集合的無意識の投影(無意識が好んで夢や幻視などに現出させる形態)とみなし、スタニスラフ・グロフはUFO遭遇をプシコイド性の体験とみなしているが、これらのことは、現実とは何かという哲学的問題にも通じていると考えられる。 参考文献 立花隆『臨死体験 上』文藝春秋 1994年 鈴木秀子『神は人を何処へ導くのか』クレスト社 1995年 鈴木秀子『死に行くものからの言葉』文藝春秋 1996年 石井登『臨死体験研究読本 脳内現象説を徹底検証』アルファポリス 2002年 木村秋則『すべては宇宙の采配』東邦出版 2009年 人見佳枝「分析心理学的見地からみた臨死体験」『近畿大学臨床心理センター 紀要』第4巻 2011年 岩崎美香「臨死体験による一人称の死生観の変容 日本人の臨死体験事例から」『トランスパーソナル心理学/精神医学』13巻1号 日本トランスパーソナル心理学/精神医学会 2013年 岩崎美香「臨死体験後に辿る過程 臨死体験者と日常への復帰」『トランスパーソナル心理学/精神医学』15巻1号 日本トランスパーソナル心理学/精神医学会 2016年 高橋清隆「キルデさんの臨死体験(人生学 第12回)」『静岡英和学院大学 静岡英和学院大学短期大学部 紀要』第12号 2014年 エリコ・ロウ『死んだ後には続きがあるのか 臨死体験と意識科学の最前線』扶桑社 2016年 Ring, Kenneth Heading Toward Omega, 1985 マイクル・セイボム『「あの世」からの帰還 臨死体験の医学的研究』笠原敏雄 訳 日本教文社 1986年 ケネス・リング『いまわのきわに見る死の世界』中村定 訳 講談社 1981年 C.G. ユング『空飛ぶ円盤』松代洋一 訳 ちくま学芸文庫 1993年 フィリス・アトウォーター『光の彼方へ』角川春樹 訳 ソニー・マガジンズ 1995年 フィリス・アトウォーター『臨死体験未来の記憶 精神世界への新たなる光』青山陽子 訳 原書房 1997年 アニータ・ムアジャーニ『喜びから人生を生きる! 臨死体験が教えてくれたこと』奥野節子 訳 ナチュラルスピリット 2013年 ジェフリー・ロング/ポール・ペリー『臨死体験9つの証拠』河村めぐみ 訳 ブックマン社 2014年